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神社の由緒

由緒

奈良時代(天平勝宝年間・西暦750年)、京都上賀茂神社より勧請されたとある。 初代宮司(稲葉左近)が土地の人と共に創立したと伝えられる。
武田氏並びに穴山氏の尊崇極めて篤く、往昔領内の祭り・神事全てをご奉仕したと伝えられる。 武田氏より3貫500文地を授かり、徳川氏におよんでは同領の朱印地を代々受けていた。 また穴山氏より勝千代祈祷料として、岩間の地に1984年に寄進されたとある。 静岡県庵原郡蒲原町新田鎮座和歌宮神社(ご祭神・木花開耶姫命、赤人の大神)を兼摂、年々富士川舟8艘貢された。 郷社定則制定されるにあたり、下山、身延、豊岡、3地区郷社として明治6年(1873年)に列格。 祈年祭、新嘗祭、例大祭の3大祭には県内神主の共進多数あり。

祭神

賀茂別雷大神(カモワケイカヅチノオオカミ)
厄除明神・落雷除・電気産業の神として御神徳が高い

天津彦火瓊々杵尊(アマツヒコホニニギノミコト)
生命の守護と産業殖産・文化興隆(交流)・縁結びの神として御神徳が高い

賀茂神降臨(カモガミコウリン)伝説

神武天皇の御代に賀茂山の麓(神山)に賀茂別雷命(賀茂氏の祖神)が降臨したと伝えられます。「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味です。雷(いかづち)の御神威により、厄を祓いあらゆる災難を除き給う厄除明神・落雷除・電気産業の守護神として広く信仰されています。賀茂神社の総本社である京都の上賀茂神社・下鴨神社は世界文化遺産に登録されております。

天孫降臨(テンソンコウリン)伝説

かつて天照大神が治めていた高天ケ原には天つ神と呼ばれる天上の神々が集い、 地上には大国主神をはじめとする国つ神たちがそれぞれの土地を治めていました。 天孫降臨は、天照大神の子孫であるニニギノミコトを地上の国へとつかわし、 いわば天孫による支配を確立する契機となった出来事です。 ニニギノミコトは地の神であり富士山の御祭神として有名なコノハナサクヤヒメと結婚をします。 これが天つ神と国つ神の最初の結婚となりました。

陰陽道と神道

継体天皇7年(西暦513年)、百済から五経博士が貢られて以来、日本には中国より陰陽道の思想がもたらされた。 天文、占筮、遁甲、暦法が伝えられ、陰陽五行思想が律令体制に組み込まれた結果、陰陽師が活躍、平安貴族の中に広まっていった。 賀茂家が暦道を、安倍家が天文道を受け継いだ。 武家は、公家の影響を受け陰陽道を採り入れ政治的に利用、支配し続けたが、やがて一般にも普及しはじめた。 神道祭祀の中には、陰陽道の要素を強く受けているものが多いと云われている。 特に中世神道といわれる両部神道、またその影響を受けた伊勢神道、吉田神道の思想、祭祀に残っている。 陰陽五行がもたらした思想は、日本の祭祀、年中行事の中に、深く入り込んでいると言えよう。

榊の原生林

昭和53年榊の自然群生の北限として山梨県より天然記念物の指定を受ける。